私の食道は、普通の人の三分の一ほどの細さしかない部分がある。
全体が細いわけではない。一部分だけが、砂時計のように細くなっている。なぜそうなったのか、はっきりした原因はわからない。ただ、十七歳のときにそうなって、それからずっと、この体と付き合ってきた。
今日は、その始まりの話をしようと思う。
胸が痛いと、言えなかった
最初の異変に気づいたのは、高校二年の春だった。
水を飲んだときに、胸がチクッと痛む。その程度だった。いずれ治るだろうと思っていた。誰にでもある、一時的なものだと。
でも、治らなかった。痛みは、日に日に増していった。売店で炭酸水やコーラを飲むと、違和感というより、明らかに異常だとわかる痛みがあった。
それでも、私は病院に行けなかった。
胸が痛い、ということが、とても怖かった。現実を知るのが怖かった。何か重い病気だと言われるのが怖くて、誰にも言えなかった。親にも、友達にも。
気にしながら食べる。日に日に、食べられなくなっていく。なぜかはわからないけれど、食事が通りにくくなっているのは、はっきりとわかった。それを実感するほど、「自分はもう死ぬかもしれない」と思うようになった。
それでも、病院には行けなかった。怖かったからだ。
食べるのが、どんどん遅くなる。家でも遅い。学校の弁当も、時間内に食べきれない。食べるのが遅くなると、どうなるか。栄養が足りず、体力が落ちて、体がだるくなってくる。
胸の痛みに気づいたのは、四月の頃だった。それから半年ほど、私はこの体のまま過ごした。その間には、修学旅行もあった。いちばん悪い状態のまま、みんなと同じように、日々をやり過ごしていた。
限界と、入院
限界が来たのは、体育祭の練習のときだった。
体に力が入らない。フラフラする。もう、隠しきれなかった。学校から帰ると、私は助けを求めるように、親に「病院に連れて行ってほしい」と頼んだ。半年、誰にも言えなかったことを、やっと口にした。
すぐに病院へ連れて行ってもらった。バリウムを飲んで検査すると、食道が、砂時計のようにくびれていた。一部分だけが、極端に細くなっていた。
すぐに大きな病院を紹介され、次の日に行くと、即入院だった。
そんな状態になっても、自分が入院するなんて、想像もしていなかった。入院なんて、自分とは縁のないものだと思っていた。「入院なんてしなくてもいいじゃん」と、どこかで思っていた。
点滴だけで過ごす日々が始まった。それでも私は、早く学校に戻れるものと思っていたし、戻りたかった。入院している自分を、受け入れられずにいた。何かの間違いみたいに、こんな状況になっても、まだそう思っていた。
けれど、入院が長引くにつれ、受け入れるしかなくなっていく。早く治ろうと思えば思うほど、体はその逆で、なかなか回復に向かわなかった。
ついには、学校の規定の出席日数が足りなくなり、留年する可能性が出てきた。
そのときは、絶望的だった。ショックが大きかった。留年しないために、一刻も早く治して復帰したかったのに。
でも、両親と話しているうちに、少しずつ気持ちが変わっていった。道は他にもある、行き方はいろいろある。そう話し合ううちに、まずは体を治すことに専念しよう、と思えるようになった。諦めも、少しはあったのかもしれない。それでも、受け入れることで、気持ちは楽になった。
ガラスの部屋と、坂道の自転車
受け入れられずにいた頃、入院中に、よく同じような夢を見た。
私はガラスの部屋の中にいる。その周りを、いろんな人が通り過ぎていく。私の存在は、まるでないもののように。私はそれを、ガラスの部屋の中から、ただ眺めている。取り残されていくような夢だった。
現実でも、似たようなことを感じていた。
入院していた部屋の窓から外を眺めると、坂道を自転車で通学していく学生の姿が見えた。
その光景を見て、気づいたことがある。
入院する前の私だったら、あの坂道を自転車で必死にこぐことなんて、きつくて、面倒くさいことだと思っていた。でも、今それを見ると、なんて充実した、大切な日々だったんだろうと思う。
当たり前に自転車をこいで、当たり前に学校に行く。その当たり前が、どれだけのものだったか。ガラスの部屋の中から眺めて、初めてわかった。
食べることも、そうだった。
食べることは、当たり前だと思っていた。私はもともと好き嫌いも多いほうで、残すことにも、たいして罪悪感なんてなかった。でも、食べられなくなって、初めて気づいた。当たり前のことを、当たり前のようにできる。それが、どれだけ素晴らしいことか。
食べ物を残したくない、と思うようになったのは、食べられなくなってからのことだ。
カステラ
治療が進んで、初めて口にしたものは、カステラだった。
もちろん、最初は流動食だったのかもしれない。でも、私が明確に覚えているのは、自分で病院の売店に行って、カステラを買ったことだ。
カステラを買って、病室に戻ると、両親がいた。私がカステラを食べることを、心配していたのを思い出す。でも、その心配していた顔にも、笑顔があった。私も、笑えていた。
食べられる。ただそれだけのことが、こんなにうれしい。
半年以上かけて治療をして、細くなった食道を、胃カメラが通るくらいまで広げた。直径十一ミリほど。それでも、健康な人の三分の一程度だ。
だから私は、今も、人よりずっと時間をかけて食事をする。健康な人が短い時間で流し込むような食べ方をすると、食道でつっかえてしまう。外食では、食べられないものもある。硬いもの、噛み切れないものは、食道を通らないから、気をつけている。
早く食べたい、という葛藤がなかったわけではない。でも、その体を、時間をかけて受け入れていった。
病気のせいにしない、と決めた
退院した日のことは、今も覚えている。
とても澄んだ気持ちでいた。晴れていて、少し肌寒い日だった。これから日常が始まる。その喜びが、静かに、そこに広がっていた。
やっと、ここに戻って来られたんだ。
留年は、しなかった。出席日数は確かに足りなかったのだが、先生の配慮もあって、春休みに補うことで、進級できた。こうして、私はまた、あの坂道を自転車でこぐ、当たり前の日々に戻っていった。
治療が終わって、この病気とは一生付き合っていく、という覚悟ができた。それでも、私はこの病気のせいにするような生き方は、したくなかった。
「この病気があるから」ではなく、「この病気があったから、今の自分がある」。
そう思えるように、生きていきたかった。
