最近、「野菜をよく洗っても、農薬が完全には落ちないらしい」という話を耳にしました。半信半疑で調べてみると、確かに農薬には表面だけでなく内部にも浸透するタイプがあるのだそうです。
もちろん、現在流通している野菜は、国の厳しい基準のもとで管理されています。
それでも、「できるだけ余分なものを体に入れたくない」という思いは、妊娠中の女性や小さな子どもを持つ家庭を中心に、静かに広がっています。
私自身も、スーパーで値札を見るだけでなく、「どんな土で育ったんだろう」と考えるようになりました。
そんな食への誠実さを求める中で出会ったのが、できる限り農薬を使わず育てられた野菜の宅配サービス 『ミレー(Millee)』 です。
この記事では、私がミレーに切り替えたきっかけから、実際に野菜を食べて感じた心と暮らしの変化までを、体験を通してお伝えします。
洗っても落ちない?野菜の残留農薬の現実
最近、「野菜をよく洗っても、農薬が完全には落ちないらしい」という話を耳にしました。半信半疑で調べてみると、確かに農薬には表面だけでなく内部にも浸透するタイプがあることがわかります。
見た目の汚れを落とすことはできても、成長の過程で吸い込まれた成分までは取り除けない場合がある。つまり、私たちが「きれいに洗った」と思っている野菜にも、ごく微量の農薬が残っている可能性があるのです。
野菜の内部にまで届く農薬
農薬には、作物の表面にとどまるタイプと、内部の導管を通じて全体に行き渡る浸透性農薬があります。
浸透性農薬は、作物を中から病害虫から守ることができる反面、収穫後の水洗いでは落としきれないという特性を持ちます。
これは「危険」という単純な話ではありません。日本では農薬の使用量や収穫前の安全期間が細かく定められ、基準内であれば、短期間で健康被害が出るほどではないとされています。
しかし、日常的な微量摂取における「長期的な視点」については、国際的にも議論が続いている分野です。
つまり、すぐに害が出るものではなくても、長い年月をかけた影響や体内蓄積については、まだ完全に解明されていない部分が多いということです。
国によって異なる「安全基準」
欧州では人体や生態系への影響を重視し、より安全側に基準を寄せている場合があります。そのため、各国間の基準値の違いによって、日本では流通している野菜が、輸出国側の基準に適合しないという現実もあります。
これは「日本が危険で、海外が安全」という単純な話ではなく、「どこまで安全を求めるか」という価値観の違いとも言えるでしょう。
欧州連合(EU)では、神経や内分泌系(ホルモン)に影響を与える可能性がある成分について、より慎重な基準で審査や制限を行っています。
一方、日本では「基準値を守れば健康被害は起こらない」という考え方が中心です。
どちらが正しい、というよりも「自分はどんな考え方を信じて生きたいか」それが食を選ぶうえでの一番の軸になる気がします。
「減らす努力」は、暮らしの中から
農薬を使うこと自体が悪ではありません。病害虫を防ぎ、安定した食料を確保するために必要な場面もあります。
けれど、洗っても落ちない成分があるという事実を知ったとき、私は「どこまで減らせるか」を自分の暮らしの中で考えるようになりました。
たとえば、
- 無農薬・減農薬の野菜を選ぶ
- 季節の旬のものを選ぶ
- 生産者の顔が見える農産物を買う
それは完璧を求めることではなく、体に余分なものを少しでも減らすという穏やかな選択です。
私が感じた「選ぶこと」の意味
食べることは、栄養を摂るためだけではありません。何を選び、どう食べるかという行為には、自分の体や暮らしをどう扱いたいかという意識があらわれます。
私は「洗えば大丈夫」という感覚から一歩離れて、「最初からできるだけ農薬の少ない野菜を選ぶ」という方向に変えました。
それは不安からではなく、自分と家族の体を静かに守るための、自然な判断です。
食の安全を数字だけで測ることはできません。でも、作り手が丁寧に育てた野菜には、どこかやさしい力を感じます。そうした野菜を選ぶことは、健康のためだけでなく、暮らしの姿勢そのものなのだと思うのです。
私ができるだけ自然な野菜を選ぶようになった理由
先ほども触れたように、農薬には作物の内部にまで浸透するタイプもあります。それを知ったとき、私は少し立ち止まりました。
「きれいに洗っても落ちない成分があるなら、できるだけ自然なものを選びたい」そう思ったのが始まりでした。
農薬の現実を知って感じた違和感
ニュースや記事を見ていると、「ネオニコチノイド系農薬を使っていません」という表記を掲げる農家や宅配サービスが増えています。
ネオニコチノイドは作物を虫から守るために広く使われてきた薬剤ですが、一部の研究では環境や生態系への影響が指摘され、ヨーロッパでは使用を制限する国も出ています。
日本では基準を守れば安全とされていますが、同時に「国によって安全の基準が違う」という現実もあります。危険かもしれないとそう感じたからこそ、安心して選べるほうへと気持ちが向きました。
野菜が高くなって見えたバランス
もうひとつのきっかけは、最近の野菜の値上がりです。スーパーでレタスやキャベツを手に取るたびに、「これなら無農薬野菜を選んでもあまり変わらないんじゃないか」と思うようになりました。
実際、定期便や宅配を利用すれば、無農薬や減農薬の野菜でも、スーパーと大差ない価格で手に入ることがあります。もちろんすべての食材をそうするのは難しいけれど、できる範囲で自然なものを選ぶという感覚なら続けられる。
同じお金を払うなら、「どう育てられたか」がわかる野菜を選ぶほうが、心も体も安心できる。そんな小さな気づきが、私の暮らしを少し変えていきました。
食べるものが、人をつくる
私は、食べたもので体も心もできていると思っています。これは誰かに教えられたわけではなく、
自分の体で感じてきた実感です。
忙しくなると、つい食事に気を使う余裕がなくなります。けれど、そんなときこそ体も心も敏感に反応しているものです。
だから私は、完璧な無農薬を求めるのではなく、普段でもできる範囲で自然に近いものを選ぶ暮らしを続けています。その積み重ねが、体の調子や気持ちの穏やかさを支えてくれると感じているからです。
小さな選択が、暮らしを変える
無農薬野菜を選ぶようになったのは、それまで信じていた安心が、本当はそうではないかもしれないと思ったからでした。
何も疑わずに食べていた野菜が、少しずつ体に負担をかけているかもしれない。そう感じたとき、できる範囲で自分が信じられるものを選びたいと思ったのです。
農薬のことを知り、野菜の値段を見て、そして「食べることが生き方につながる」と気づいた。それらが少しずつつながって、今の食卓ができています。
ミレーのように、できる限り自然な方法で育てられた野菜が届くこと。
農家さんの顔が見えて、どんな土で、どんな思いで育てられた野菜かが分かる。その一つひとつの背景が、私にとっての安心の形になりました。
ミレーの野菜が選ばれる理由
農薬や野菜の価格について調べていくうちに、「どんな人が、どんな思いで野菜を育てているのか」を知りたくなりました。そして、生産者の顔が見える仕組みに出会ったとき、安全という言葉よりも、作り手の誠実さこそが本当の安心だと感じたのです。
そんなとき出会ったのが、無農薬野菜の宅配サービス「ミレー(Millee)」でした。派手な宣伝よりも、ひとつひとつの野菜から伝わってくる静かな誠実さに惹かれたのを今でも覚えています。
ここでは、私が実際に感じたミレーの魅力を3つの視点からお伝えします。
生産者の顔が見える「安心のつながり」
ミレーの最大の魅力は、作り手との距離の近さです。公式サイトには生産者の顔写真やメッセージが掲載され、どんな土で、どんな思いで野菜を育てているのかを知ることができます。
誰が作ったのかがわかるだけで、野菜が人から届く食べものだと感じました。
農家さんたちは共通して、「自分の子どもにも安心して食べさせられる野菜を」という思いを大切にしています。その言葉に、作り手の誠実さを感じました。
土づくりから始まるやさしい循環
ミレーの農家さんが大切にしているのは、厳密な「自然農法」の定義よりも、化学肥料に頼らない「土の生命力を活かすこと」です。
ミレーの野菜づくりは、土を育てることから始まります。化学肥料に頼らず、堆肥や緑肥を活かして微生物の力を生かす。そうして育つ野菜は、味が濃く、香りが深く、噛むほどに自然の力を感じさせてくれます。
健康な土には、見えないけれど確かな命の循環があります。その循環を大切にするミレーの姿勢が、「食べる人の体を整えること」に自然につながっているのだと思います。
続けやすい現実的なやさしさ
無農薬野菜は「高い」「続けにくい」と思われがちですが、ミレーはそのハードルをやさしく下げてくれます。
旬の野菜を中心にした定期便は、季節ごとに内容が変わり、必要な分だけを選べるから無駄がない。スーパーの値段と大きく変わらず、安全を特別ではなく日常にできるバランスが心地よいのです。
届く野菜は、シンプルに調理しても十分おいしい。余計な味付けをしなくても、素材そのものの香りと甘みが立ち上がります。そういう意味で、「整える暮らし」は続けやすい暮らしでもあるのです。
食べることで整うということ
無理なく続けられる価格で、体にも地球にもやさしい。食べることで心が落ち着き、暮らしに小さな余白が生まれる。それは、もっと素朴で確かな「整える力」だと感じています。
無農薬の野菜を選ぶことは、特別な選択ではなく、自分と自然を大切にするひとつの方法。ミレーは、その想いをかたちにしてくれる存在です。

ミレーは食べることを通じて、自分の暮らしを整えたい人におすすめです。
旬の野菜セットは量がちょうど良く、価格も現実的。使い切りやすく鮮度も長持ちするので、忙しい日々でも無理なく続けられます。
ミレーの野菜を受け取って感じたこと
手に取ると、どの野菜もていねいに包まれていて、新鮮さと清潔さがそのまま伝わってきました。形も色もそれぞれで、ひとつひとつに作り手の手仕事を感じます。

実際に届いたときのミレーの箱の中。ひとつひとつが丁寧に包まれていて、安心感がありました。
届いた箱を開けると、思った以上にしっかりした量の野菜が入っていました。どれも見た目がきれいで、葉ものはハリがあり、にんじんも根がしっかり詰まっていました。
特に印象に残ったのは、生で食べたときの味。サラダにして口に入れると、苦味が少なくて甘みがあり、調味料を足さなくても味が整うほど。素材そのものの力を感じました。
そして、季節によって入ってくる野菜が変わるのも楽しみのひとつです。「今週は何が届くかな」と箱を開ける瞬間が、小さな季節の便りのように感じられます。旬の味に合わせて献立を考える時間も、暮らしのリズムを整えてくれる気がします。
食べるを見直すことから、暮らしが変わる
食べものを見直すことは、ただ健康のために選ぶということではなく、自分の暮らしをどう整えたいかを見つめ直す行為なのだと思います。
たとえば、台所で野菜を洗う時間。その何気ない動作の中に、心のざわめきが、少しずつ静まっていく瞬間があります。包丁の音、野菜の香り。自然のリズムに、自分を戻していくような——そんな穏やかな時間です。
私は、野菜を切る時間が好きです。何も考えず、ただ手を動かす。その無心のひとときが、心を整えてくれます。
無農薬の野菜を選ぶことは、完璧を目指すことでも、誰かに見せるためでもありません。「自分や家族を思いやる」という、やさしい日常の選択です。
便利さを追い求める時代の中で、あえて手をかけるという行為を選ぶこと。
それが、心の余白を取り戻すことにつながっていくのだと思います。
食べることは、生き方の選択。
今日の食卓が、あなたの明日を少しだけやさしくしてくれますように。
ナチュラルヘルスカフェから
たとえば、お腹がすいたときに、あたたかいものをゆっくり食べること。
眠れない夜に、白湯を口にして心を落ち着かせること。
そんな小さな時間の中に、「食を整える」意味があるのだと思います。
私がミレーを通して感じたのは、食を整えることは、自分を責めず、「自然のリズムを信じ直す」こと。
体は、自然の一部です。だからこそ、季節や心の波に合わせて変化していい。食を整えるとは、その流れに逆らわず、自分の内にある自然をもう一度信じることだと思います。
完璧でなくていいのです。
まずは今日の一皿に、作り手の想いを感じられるひとつのやさしい選択を。
その一歩が、未来のあなたをやさしく支えてくれるはずです。
ミレーの理念や、どんな想いで作られているかを知りたい方は、こちら。

